読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

幸せな哀しみ

f:id:kkind:20151017101929j:plain

人との本当の繋がりが分かるのは、別れの時かもしれない

それも、二度と会えない死別の時に

どう感じるかで、その人との、繋がりの深さが分かるのかもしれない

 

私は、今まで、大叔父、祖父母、兄、父と、5人の

かつて一緒にくらした事のある家族を亡くしてきたが

それぞれに、想いの深さや、感じるものは違っていた。

家族の死で、一番悲しかったのは長兄の死だった。

自殺で若かった事もあるのだが、家族の中で誰よりも思いやりがあり、優しく

病弱な私の事を一番心配してくれたのが長兄だった。

性格も、どこか似た所があった。

長兄が亡くなった時、嗚咽がこみ上げてきて、食事もとることが出来なかった。

 

その長兄の死以上に哀しかったのは、やはり夫の死だ。

夫が亡くなった時は、どこか感覚がマヒしていたのか、

それとも、喪主としての勤めがあったからか、声を上げて泣くことはなかった。

亡くなってから、月日が経つにつれ、もうこの世にいないことを日に日に実感する。

 

何を見ても、夫のことを思い出す。

2人で一緒に選んで買った家具や家電、小物などなど・・・・

夫の好きだったテレビ番組

 

こんなにも、哀しめる人に出会えて

もしかしたら、私は幸せだったのかもしれないと、最近思うようになった。

生涯独身だったら、こんなに哀しい思いをすることはなかったかもしれない。

でも、愛されること、大切にされること、大きな安心感などを

一生経験できないまま、

病気だけの 孤独な生涯を閉じていたかもしれない。

 

夫と出逢う前は、独りで強く生きていた・・・つもりだったのに

夫と出逢って、初めて人に甘えるということが出来た

夫に甘え、夫に寄りかかり過ぎて、私はどんどん弱くなっていった。

もう張り詰めるような思いで、

独りで生きて行かなくてもいいという安心感もあったと思う。

 

夫が、命に関わる病を発症してからは、私はまた強くならなくてはいけなくなった。

何でも自分一人で決断しなくてはいけない状況になった。

延命のこと、葬儀のこと・・・自分一人での決めなくてはいけなかった。

 

夫とは、いろんな偶然が重なって出逢ったようなものだが

複雑な家庭環境や、病気ばかりで苦労の多いことなど

夫と私は境遇が似ていたのかもしれない

 

私たちは、健康な夫婦とはちょっと違った視点を持っていたのは確かだ

いつも、お互いを思いやっていたし、助け合いながら質素につつましく暮らしていた。

何も特別なイベントもなければ、贅沢することもない。

お互いに病気がある私たちは、

ただ、今日が無事に暮らせれば、それで満足だった。

 

まだまだ哀しみは尽きないけれど

幸せな哀しみだと思って、哀しみを噛みしめながら、味わいつくそうと思う。

この大きな哀しみも 大切な夫との繋がりの証だと思う。