人は、生きていることなんて、普段は意識しないものだと思うのですが、
例えば、命に関わるような不治の病にかかり、
余命宣告された時に
はじめて、自分の命というものを考えるかもしれません。
私は
大切な人の死に直面して初めて
自分が生きているということを実感したような気がします。
夫は死に
私は生きている。
悲しみの日々を 味わい
そして 生きる意味を問いつづけた後に
気付いたことは
”毎日を丁寧に生きることが大事”なんだということでした。
結局 人生は、”今”しかなくて
”いつか”は、やって来ないかもしれないってことに気づきました。
例えば何かを食べるとき、美味しい幸せと感じるのは ”今”で
死んでしまった夫は、この美味しさを感じられない
黄金色に輝く朝日を見た時に、
雨上がりの 澄み切った空気の透明感を感じた時に
街路樹のいきいきとした 葉っぱの緑色を見た時に
あ~ 私はまだ、生きているんだなと感じます。
生きているという感覚は、
肉体が持っている
五感(視・聴・嗅(きゅう)・味・触の五つの感覚)で何かを感じる感覚かもしれません。
綺麗なものを視て
安らぎを感じる音を聴き
いい香りを嗅ぎ
美味しものを味わい
優しい手触りの感覚
そして、心地よいと思うもの、感覚に囲まれながら
暮らしていけたら素敵だろうな~と思います。
肉体を失ってしまった夫の死が、
肉体を持って 私がまだこの世に生きていることを教えてくれます。
それまでは、生きていること自体あまり意識していなかったのに。
それどころか、少し苦しいことがあると
早く死んでしまいたいと願うことさえありました。
夫の死がいろいろな学びを私に教えてくれたように思います。
夫は
肉体を持って、五感での喜びを感じることは出来なくなったけど
その代わりに、もう肉体の痛み苦しみはなくなった。
肉体をもって生きるということは
喜びも感じるのと同時に
痛み苦しみもあるということなんだと思います。
今日1日を何とか生き抜く
その繰り返しが ”生きるということ”かもしれません。
さらに
生きるということは、
”何かに気付く”ということなのかもしれません。
そして
気付きというのは、悲しい出来事や苦しい思いの後にやってくるものかもしれません。