命の終わりと 生きることと

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友人が亡くなり、告別式に参列しました。

カトリック教会での告別式でしたが

派手な飾り祭壇もなく、とてもシンプルでした。

 

その日は変な天気で、晴れているのに冷たい雨が降ったり

時にみぞれが降りだしたり

亡くなった友人が泣き笑いしているかのようでした。

その友人は、生きている時には、長い闘病で苦しいことも多かった人生でした。

 

共に過ごした日々のことを思い出しては寂しい気持ちになったり

やっと痛み、苦しみから解放されて楽になれたんだという想いや

後に一人残されるご主人の辛さを思ったり

いろいろな想いを感じました。

  

親類、友人、知人の死は、

自分が まだ生きていることを再確認するきっかけになります。

自分はあとどれくらい生きるのか?

残された時間で どんな事をやりたいのか?

そんなことをぼんやりと考えてはみるけど

今の私には

特別やりたいことも

この人にだけは、会っておきたいという人もいません。

 

身体や心が辛い時

なぜ生きるのか?と 時々考えますが

明確な答えはないのでしょう。

または、生きる理由は人それぞれで違うかもしれませんね。

何かで目にした言葉に

辛くても、苦しくても、生き抜くことが

人生の目的だ

というのがありました。

 

人の寿命は決まっているものなのでしょうか?

いくら苦しくても、その時が来なければ逝けないし

逆に、その時がくればあっけないくらいに逝ってしまう人もいます。

私は、死ぬことは怖くないですが

現代における 無駄な延命や、

痛みを伴うだけの医療によって苦しむことが怖いです。

緩和ケアを中心とした

自然のままな死を迎えられる時代になるといいなと思います。

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